2015年09月20日

認知的不協和の話のつづき






自分の親が間違っているとは小さな子どもは考えられません。



たとえば、親から心的虐待=モラル・ハラスメントを繰り返し受けた子どもは、その行為を虐待だとは思わないようにして過ごします。

毎日、毎日、そのストレスに耐えている子どもからすれば、親からのモラル・ハラスメント行為はいじめではありません。

親のひどい仕打ちは、親が自分のために与える試練だと考えるしかないからです。

ゆえに、学校の仲間をいじめる行為は、仲間のために試練を与えている行為であると彼・彼女のこころの中で変換されてしまうこともありえるのです。

もしそれがいじめであると考えてしまったら、親が自分にする仕打ちもいじめだということになってしまうからです。

認知的不協和を低減させるため、子は自分を虐待する親のことを愛そうとします。
自分の親は間違っていないと思い込もうとします。

親なのに子をいたぶるという矛盾。
こんな悲しい認知的不協和があるでしょうか?



もう一度、フェスティンガーによる認知的不協和の仮説(命題)について書かれたものをお読みください。




不協和の存在は、その不協和を低減させるか除去するために、なんらかの圧力を起こす。
つまり、複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在する場合、一方の要素を変化させることによって不協和な状態を低減または除去することができる。
不協和を低減させる圧力の強弱は、不協和の大きさの関数である。
つまり、認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。





































Posted by anti-moral harassment project  at 20:47